令和6年能登半島地震

実家到着後、近所の状況を確認しました。

電気は2週間ほど前に復旧したが、水道はまだとの事で自衛隊の給水車から日々補給しているとの事でした。

実家は福井から220Kmほどの距離で、通常だと3時間半ほどの時間で着きますが今回は地震の影響で、里山海道(自動車専用道路)も一部のみの通行で一般国道での走行となり倍弱の時間がかかりました。

いたる所で道路の陥没、橋橋脚付近での段差、倒壊家屋による片側交互通行の道など地震のすさまじさを感じました。

途中すれ違う各県からの応援で能登へ来られている、自衛隊・警察・消防・救急などの県外ナンバーの車両を見るたび

感謝の気持ちで胸が‥。有難う御座います。

他、地元の建設業の方々などにより道路も仮工事とはいえ通行できる箇所が増え実家に向かうことが出来ることへ感謝しながら走りました。途中に検問等で地元関係者以外の規制をしていましたが、関係機関・関係者以外の車両も多く朝夕は渋滞がひどいとの事でした。(大阪から応援に来ていた検問の警察官からの話では。ちなみに私は実家の固定資産税納付書にて地元関係者と理解していただけました)

 

実家の建物は外見的には屋根瓦破損・窓破損程度で、被害はそれほどでも無いかと思いましたが、家の中に入りましたら1階の内装建具は全く動かなく、2階の襖などは外れて飛んでいました。当然食器棚やタンスは転倒などで足の踏み場が‥、という状況でした。

とりあえず、倒れたタンスや襖などを片付け、割れたガラスや瓦などを拾い集め、壊れた窓はブルーシートで塞ぎましたが、大屋根の瓦は補修は、登るのが怖いのと危険性が高いので断念。

1階や2階における柱の傾きチェックも行いましたが、上下階異なる方向へ鴨居から敷居までの間で、7~18㎜のズレが生じていました。一部鴨居脱落で木舞壁が落ちている箇所もありました。

エリア的に地盤は比較的良いところだったので被害もすくなかったのかと思いますが、それでもこの状態ですから地震の大きさを肌で感じました。

お墓の状況も確認しましたが、隣や後ろの墓は倒壊していましたが我が家の大丈夫でした、40~50程の墓がある墓地ですが半分ほどが何らかの被害が出ている状況でした。

 

本当に自然災害の怖さを感じるとともに、日ごろから災害に備えて、出来ることはしておく。「転ばぬ先の杖」を意識しました。そして、自分が出来るボランティア活動を行うとともに、福井県の令和5年度応急危険度判定士認定講習会も早々に申込しました。(当然今後の災害発生時に対応できる判定士として登録して、被災地での活動に参加します)